ナオミ — ルツ記1.19b-22 —

 

故郷ベツレヘムに戻ったナオミは村人から声をかけられた時、自分をナオミ(愛らしい者)ではなく、マラ(苦しみ)と呼ぶように願いました。そして神が自分を不幸に貶めたと、恨み辛みを吐き捨てます。夫と二人の息子を失ったナオミの心はマラ(苦しみ)で覆われていました。しかし神への信頼を失ったナオミは、「あなたの神はわたしの神」と告白する異邦人ルツによって救われ、恵み回復します。

イスラエルは選民であり、神はこの選民によって世を救済するというのが旧約聖書の救済観です。ここにイスラエルの異邦人に対する奢りがあります。(キリスト者の未信者に対する態度も然り)

しかし神(主人)が選民(下僕)を用いるのであって、選民が主となり救いをもたらすのではありません。そんな選ばれた民の傲慢を打ち砕くように、神はイスラエルの民ナオミを異邦人ルツによって救済します。しかし同時にナオミの救いがルツの救いともなります。

救いとは個人にではなく、関係の中にもたらされ結果として個人が救済されるのでしょう。キリスト者が未信者を教え導くのではなく、関係の中に神は関与し救済します。その関係の先駆けとして用いられているというのが少し先に選ばれた者の正しい態度かもしれません。そして必ずしも助ける側ではなく、ナオミのように助けられる側として用いられることも当然あるわけです。

神の救済は関係の中に働きます。その為に用いられているのだという信仰を大切にして歩んで参りたいと思います。

※月例聖書を学ぶ会は、毎月第2木曜日、午後13:30からです。現在、ルツ記を学んでいます。

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