いつまでも

政治家の失言が後を絶ちません。言葉にはその人の立ち位置が表出します。問題は復興大臣が被災者に寄り添っていなかった事です。時に言葉は人を傷つけます。しかしそれは悪く言えば謝れば済むことです。しかし本質的な問題はその言葉の背後にある発言者の立ち位置にあって、それが言葉の与えた傷以上に、聞き手を失望させ悲しませるのです。

ペトロはゲッセマネで捕らえられたイエスを追って大祭司邸の中庭までやって来ました。その時「お前はイエスの仲間ではないか?」と問われて三度それを否みました。それはイエスにとって深い悲しみであります。愛する弟子の自分に対する立ち位置に触れ悲しむのです。

寄り添うとは両者間の距離概念ではなく「いつまでも」という時間概念のような気がします。それが如何に重い荷物であろうと何時までと期限が切られたものは担い易いものです。しかしそれが如何に軽かろうと、そこに期限のないものはおいそれと担えるものではありません。寄り添うとは「いつまでも」という約束であり、真実はそこに生息しているようです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28.20b)

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