とどまる

人類に不平等が生まれた起源説の一つに、それは土地に線を引いた時に始まると神学校時代に学びました。毎年この季節になると神学校の竹林に筍泥棒が出没します。迷惑な話ですが、そもそも野津田山の竹林は誰のものでもなく季節なれば土地の人々が自然の産物に預かっていたのです。しかし土地に線を引いて人類の不平等が始まったというお話しです。

1997年、建設省は戸手河川敷住民の立ち退き補償額(払下げ価格)を算出するための実態調査で各家屋の占有面積を測量しました。もともと誰の土地でもない所で家と家の間に線を入れようとした時、隣人間に争いが生じました。これまで仲良くしてきたのに。それは悲しい記憶として残っています。

東京電力福島第1原発事故による賠償問題は、事故現場から半径20kmに線が引かれ、その線を境に賠償額に大きな隔たりがあります。その隔たりは村人の人間関係に影を落としているとのことです。

土地に線を引くとは、それはこの世的には(土地に限らず)どこかに線を引かざるを得ない現実を象徴しています。しかしその現実が引いた線が人と人の間に不平等を生んでいます。線は引かざるを得ない。しかしそれで良いわけではない。何だかその狭間に人間とは何なのか?という問いが横たわっているように思えるのです。

その線を引いた現実とやらに責任を取らせてしまうのが一番楽な道です。しかし現実が引いた、引かざるを得なかった線を前にしてどうするのか?考え向き合い、問われ続ける所から逃げない。そこに人間として踏みとどまる一線があるように思うのです。

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