対話

最近、AI(人工知能:artificial intelligence)という言葉を頻繁に見聞きするようになりましたが、これは現代と未来を象徴しているように思います。

従来のコンピュータは人間が作成したプログラム(作業工程)を実行するだけのものでしたが、AIはコンピュータ自身が人間に代わって考え判断します。コンピュータは超高速で同じ作業を繰り返すことは得意ですが、人間のように曖昧な事を経験に基づいて判断をする事が出来ません。しかしAIは経験を積み重ね知識を構築し(自ら学習し)、その知識を用いて自ら判断します。まさに人工的に造った頭脳です。

これまでは人間が考え判断し、機械に手順を教えて作業を代行させました。しかし未来は、これまで人間が担当していた[経験を重ね学習して判断する]という部分をも機械に任せようとしています。これからは人間に代わって出来る機械の守備範囲が拡大され無駄が淘汰されます。既に将来AIが取って代わる職業がリストアップされています。

ここから見えてくるもの、否既に見えているもの、それは人間個人が考える必要がなくなって来たという事です。

現代社会は既に相当合理化され便利になりました。人間自身が出来るだけ考えなくても良い環境が整ってきています。そんな環境が人間に無駄を感じさせるのです。無駄なことは機械に任せるという考えによって無駄に敏感になりました。そして無駄が以前にもまして鬱陶しく感じるのです。そして人間は近い将来、いや既に対話を無駄と認識し始めていると思います。

私は人間としての一線をどこで確保すべきでしょうか。それは決して対話を無駄とは考えない、否、無駄であっても良い。しかしその無駄(対話)を大切にする愚かな生物である所に、私は人間として踏み留まろう。

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