ヨブ記(1)

月例聖書の学びの会は、今月よりヨブ記の学びに入りました。

「ヨブ記の目的は、明らかに、不当な苦難という昔からの問題の解決を見出すことである。」

しかしヨブ記はそれを見出すことに「成功したのか、それとも失敗したのか」、「その判断は読者に委ねられており」、「読者が各自でヨブ記が自分自身の人生に語りかけるままに、自分自身の解釈を生み出さなければならない。」

ヨブ記に答えはありません。ヨブ記は人間が神に抗議するという形で問いを立てます。ヨブ記は読者に一切の弁解を放棄してその問いに向き合うことを要求します。即ち未だ己の知らない(知ろうとしなかった)己の醜さと一生に一度本気で向き合うという覚悟の下に、その問の前に身を晒すこと自体が、ヨブ記を読む、ということです。

今回、ヨブ記を学ぶにあたり選んだ参考書の著者はその序論を次のように結んでいます。

「しかし、一つのことが確かに起こる。わたしたちがこのユニークな、わたしたちの肌を傷つけ、引き剥がすような書物の終わりに到達した時、途方もなく不愉快で、騒々しい旅をしたという思いが残ることである。敬虔と偽善。自己愛と自己欺瞞。見せかけのみの卑屈さと天をも恐れぬ高慢、いつの時代にも人間が自分の真実を隠そうと試みてきたこのような人間の深層を、容赦なく剥ぎ取った書物は、後にも先にもヨブ記のほかには無い。また汚れに満ち、深い苦悩のうちにある人間の生が、唯一、意味と平安を見出しているただ一人の御方の要求を仮借なく人間に突き付けている書物は、本書以外、後にも先にも見られない。ヨブ記を読み、学ぶことは、或る種の激しさを伴う信仰の中で成長することであり、これこそこの世の神学のすべてに匹敵する価値のあることである。」

「」内は参考書の引用

参考書:THE DAILY STUDY BIBLE 12 「ヨブ記」

新教出版社

John C.L. Gibson(1930-2008)著 滝沢陽一 訳

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