本日、礼拝後の修養会で「松居直と絵本づくり」の読書会が予定されいます。絵本づくりに関心を持っていませんでしたが、興味深い一節がありました。
「大人は絵本の絵を見ますけど、子どもは絵本の絵を読みます。」
「文章になっていない言葉が、いっぱい挿絵の中にある。」(p180)
これは絵本の世界に限らない示唆深いお話だと思いました。大人は認識や理解をするため言葉への依存度が子どもより高く、もっと言えば言葉のみで理解しようとします。しかし絵本の挿絵のように、文章になっていない部分が人間関係の中に存在し、言葉の依存度が高い大人はそれを読めていないのかもしれません。
例えば歴史はその一つです。歴史という挿絵の上に人間の言葉が語られています。したがって挿絵を読まずに、また互いに異なる挿絵を眺めながら語ると話が噛み合いません。ワイツゼッカー氏の「我々年長者は過去を心に刻んで忘れないことが、何故決定的に重要なのか若者が理解できるよう手助けしなければならない。(荒野の40年)」もこれに通じるものだと思います。
我々人間は自覚するしないに関わらず、人類の歴史という挿絵の上で互いに語っています。故にその挿絵をそれぞれが自由に漠然と眺めているだけでなく、しっかりと読み共有に努めなければおおよそ対話などは成立しないのかもしれません。
松居直氏の次の言葉を感謝して心に刻みたいと思います。
「文章になっている言葉と、それから絵の中にある言葉。その二つが一つになって豊かな言葉の世界が出来る。それが絵本の体験なのです。」