関東大震災朝鮮人虐殺事件を憶えて

ワイツゼッカー氏「荒れ野の40年」演説(要旨)

5月8日は記憶の日である。記憶とはある出来事を誠実且つ純粋に思い起こすことを意味する。我々は戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、取り分け強制収容所で殺された600万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだ全ての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマ(ジプシー)や同性愛者、宗教的・政治的信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられない程の死者の傍らで悲しみの山がそびえ立っている。

確かに歴史の中で戦争と暴力に巻き込まれる事から無縁な国など殆ど無い。しかしユダヤ人の大量虐殺は歴史上前例がないものだ。この犯罪を行ったものは少数のものだった。あまりにも多くの人が起こっていることを知ろうしなかった。良心を麻痺させ、自分には関わりのないとし、目をそらし沈黙した。戦争が終わりホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになった時、それについて全く何も知らなかったとか、薄々気付いていただけだと主張した。

ある民族全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。罪は集団的なものでなく個人的なものだ。発覚する罪もあれば、ずっと隠されてしまう罪もある。あの時代を生きたそれぞれの人が、自分がどう巻き込まれていたかを今静かに自問して欲しい。ドイツ人だからというだけで罪を負うわけではない。しかし、先人は重い遺産を残した。罪があっても無くても、老いも若きも、我々全てが過去を引き受けなければならないということだ。

問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりする事は出来ない。過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び非人間的な行為に汚染される危険に陥りやすいのである。

人間の一生、民族の運命という時間の中で40年の歳月は大きな役割を果たしている。この国には新しい世代が政治的な責任を引き受けられるまでに成長してきた。かつて起きたことについて若者に責任はない。しかしその後の歴史で生じたことに対しては責任がある。我々年長者は過去を心に刻んで忘れないことが、何故決定的に重要なのか若者が理解できるよう手助けしなければならない。冷静且つ公平に歴史の真実に向き合えるよう若者に力を貸したいと思う。人間は何をしかねないのか、我々は自らの歴史から学ぶ。だから我々はこれまでとは異なるより良い人間になったなどと自惚れてはならない。究極的な道徳の完成などあり得ない。我々は人間が危険に晒されていることを学んだ。しかし、その危険を繰り返し克服する力も備えている。

ヒトラーは常に偏見と敵意、憎悪を掻き立てるように努めていた。若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や憎悪を駆り立てられてはならない。対立ではなく、お互いに手を取り合って生きていくことを学んで欲しい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。

自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう。今日5月8日にさいし、可能な限り真実を直視しよう。

引用)YouTube ワイツゼッカー氏「荒れ野の40年」演説要旨朗読 より

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