選択

既に存在していたものは実感しづらいものです。人間は空気なしに生きることは出来ません。24時間共にあるにも拘らず、否そうであるからこそ実感できないのです。
戦後世代は民主主義を生きてきました。故に民主主義を一番知らないのかも知れません。もちろん学校で学びそれを説明する能力は持っています。しかしそれがどれ程大切なものかを、空気以上に日常で実感できていません。何故なら、民主主義でない状態を我々は体験していないからです。
各党首らは今回の選挙をそれぞれネーミングしていますが、便乗させて頂くなら「得のためなら民主主義捨てますか?選挙」と命名したいと思います。
政党の区別なく、党首らは有権者の経済的得を語ります(GDP増、株価上昇、年金資産、社会福祉、子育支援、庶民の暮らし、賃上げ、教育無償化等)。それらが選挙時の関心事や争点になるのは当然でそれを悪という根拠は何処にもありません。しかしそこにのみ関心を置いてしまうと、そもそも選挙そのものを形作っている民主主義が汚染されていきます。
公害は人間に空気の存在を実感させました。空気が汚れた時、人類は初めて空気の存在を実感したのです。(近代以前に「空気が美味い」という言葉は存在しなかったでしょう)果たして日本の有権者が民主主義を実感するのはいつでしょうか。それは取り返しのつく時でしょうか。それとも日本は再び悪夢を見なければならないのでしょうか。
民主主義を創った先人があるなら、それを守る責任が今を生きる我々にあります。人間は愚かでありつつも、愚かなりに五分の魂を持っています。それも含めて人間ではないでしょうか。故に希望を堅持しましょう。そして、その選択が民主主義を汚染させるか否かをしっかり見極めましょう。何故なら、その「選択」ができるのは「民主主義」あってこそなのですから。

<中高生への補足>
民主主義は国民自身が選択できるようにしました。しかし利益や合理性等、各自が自分の得の追求のみにその選択を用いると、政治を腐敗させ、選択を可能にした民主主義そのものを壊してしまい、次第に選択肢が狭まり、やがては選択そのものができなくなってしまうので、いつまでも選択できるように民主主義を大切にしましょうというお話です

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