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先週、映画「殿、利息でこざる!」を観ました。全国上映されたのは昨年5月との事です。作品のパッケージとタイトルからお笑い物と思いきや、涙と感動の渦に落とし込まれました。これが日本アカデミー賞にノミネートされなかった理由が私には全く分かりません。否、先週米大統領が訪日しゴルフをして銀座で高級ステーキを食べたどうでも良い報道に賑わう今の日本であれば、それもうなずけるというものです。

原作は18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』(栄洲瑞芝著)を元にした歴史小説『無私の日本人』(磯田道史著)。
1766年(明和3年)の仙台藩領内の宿場町・吉岡宿。仙台藩の宿場町には宿場町間の物資の輸送を行う「伝馬役」が課せられており、通常は藩より宿場町に助成金が支給されているのだが、吉岡宿は藩の直轄領ではないため助成金が支給されていなかった。このため、伝馬役にかかる費用は全て吉岡宿の住人が負担して町は困窮し、破産者夜逃げ者が相次ぐ有様であった。(Wikipediaより)

恐らく多くのキリスト者はこの映画を観て次の聖書の言葉を思い浮かべるでしょう。
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」(マタイ6.3)
そして、これはそういう意味だったのかと改めて理解を深めると思います。
吉岡宿の困窮を打開すべく、茶師・菅原屋篤平治(とくへいじ)の夢物語ともいえる無責任な提案に、宿場のため貧しきものために賛同者が一人また一人と集まります。同時にその善行は尊敬されるため名前を売るために非ずと集まった同士は「慎みの掟」を定め、名を伏しました。
節操もなく「何とかファースト」という言葉が横行する昨今、このような作品が評価されるであろう日本になることを願ってやみません。
映画の最後は主人公、穀田屋十三郎(こくだやじゅうざぶろう)の遺言(私のしたことは決して人前で語ってはならぬ)で閉じられ、それに続いて流れるエンディング曲の見事としか言いようのない選曲に清々しい涙が溢れました。
キリスト教とは関わりのない作品ですが、宗教者として尊敬に価する牧師お薦めの一作です。

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