新しい時

時には節目が与えられています。新しい一日、新しい一年、その節目は過去を精算し未来に期待を与えます。如何に面白くない日々が続こうとも、時の節目は新たな時の始りを告げると共に今日からは、今週は、今月こそ、そして今年こそは、と訪れる新しい時に期待を持たせてくれるのです。それは時が変われば、何かが変わるかも知れないという期待と同時に、時に隷属し良きも悪きもその時に責任を転嫁します。
景気は?天候は?株価は?運勢は?これらは時に隷属する者の関心事であり彼らの幸福は時が支配します。本日で2017年は終わりを告げ、人々は「良いお年を」と支配者である時のご機嫌を伺う挨拶を交わします。確かに時が変われば何かが変わるかも知れません。しかし私たちは時に隷属しません。時が良し悪しを決定するのではありません。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1.15)

時は既に満ちており、我々は神の呼びかけに応答することを求められています。変わるべきは時ではなく、人間である私自身であります。時が変わって何かが変わる訳ではなく、そこに期待を寄せても虚しいだけです。
時の節目を迎え新しい時に期待を寄せてしまう瞬間、我々は神の「時は満ちた」とする宣言を覚えましょう。そして時の責任にするのではなく、時に期待を持つのではなく、私たち自身が変わってまいりましょう。
しかしやはりそれでも時には節目が与えられています。キリスト者は主の日という節目毎に神の御前にひざまつき、神の支配を願い新たな一週間へ旅立ちます。
新しい一週間、そして新しい年も、主のお守りの内に主の呼びかけに応答して参りましょう。

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