働き方改革

「資本論」によれば物の価値とは、人の価値観やその時の状況で判断する「使用価値」と、その物が生産される過程で注がれた労力の度合いで判断する「交換価値」があるとのことです。
著者はそれをダイヤモンドとフランスパンに例えて分かりやすく説明しています。山で遭難し空腹に飢える人にとってダイヤモンドの「使用価値」はありません。しかしダイヤモンド1個が発掘される労力はフランパン10000個が生産される労力に値し、ダイヤモンドとフランスパンの「交換価値」は1:10000になります。単純に考えますと(材料費、設備費等を無視した場合)物の値段とは労力であり、この労力に対する労働者への賃金を抑えて資本家は利益を生みます即ち1万円の労力で生み出された製品に1万円の値段をつけても利益は生まれません。そこで本来1万円分が投入された労力に対して9000円の賃金を支払うことで1000円の「余剰」が生まれこれが利益となります。簡単に言えば労働者からのピンハネが利益という話です。しかしこれを悪という根拠はありません。これが資本主義なのです。そして資本家はその余剰(余剰価値)を多く生み出す事に熱心であり、最近話題になっている裁量労働制の導入という話になって参りました。この制度は働き方改革と銘打っていますが、労働者の為ではなく資本家が安定した利益を生み出すための制度です。
聖書には労働者の譬話があります。それは夕方まで雇ってもらえなかった人に主人はぶどう園の仕事を与え、朝から働いた人と同額の日当を支払いました。勿論こんな雇用をしていたら会社は直ぐ倒産します。しかしイエスが元々この譬話を語ったねらいは、取り残された者の身になって考える視座の移動により彼らを見捨てず、それを天国に譬えました。
裁量労働制は、能力のある労働者はその恩恵に預かれるかもしれません、しかし劣るものはその恩恵分の負担を背負い込みます。そして資本家は着実に利益を高めます。過労死が社会問題になっている昨今、働いている側の身になって考える事なしに働き方改革はありえないのではないでしょうか。

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