愚者 (ヨブ記5:1~7)

人知では理解し難い苦難の理由を問うヨブに対し、エリファズは人には計り知れない神の正しさがあるのだと答えました。更に、そもそも人に降り懸かる災いは、その人自身の愚かさと無知より生じているとヨブを叱責します。
愚か者は怒って自ら滅び、無知な者はねたんで死に至る。(ヨブ5:2)
確かに人は皆、己の腹に虫を飼っており、その腹の虫に喋らすと災いを呼びます。故に、腹の虫を治める為の行為は愚かで後悔が後を絶ちません。
エリファズは箴言に代表される知恵文学の教師で、その知恵からヨブの苦難を解析し助言しています。しかし絶望の中にいる人にこの知恵の言葉たちは、あまりに残虐です。
我々はエリファズの論法から、知恵文学の守備範囲を限界づける必要を認めざるを得ません。即ち知恵だけで世界を語り尽くせず、説明しきれないという事です。エリファズは知者なのでその知恵に基づいてヨブに応答しています。しかしその知恵が全ての問題を解き明かす訳ではないのです。しかも無理に説明し切ってしまう時、それは苦難の当事者よりも知恵そのものの正当性を証明することに専念し、結果として当事者は知恵の犠牲者となるのです。
これに鑑みるならば、私たちのキリスト教信仰も神学も(パウロの言うように)やはり一部分なのです。(コリントⅠ 13章)
キリスト教だけで世界を語りつくすこと等出来ません。それが出来ると思うのは傲慢であり、無理やり矛盾なく完成させた神学を権威的に語る者こそ無知であり真の愚者なのなのです。

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