わたしの時(マタイ26.17-20)

イエスと弟子たちとの最後の晩餐はユダヤ教の過ぎ越しの食事ですこの食事は種入れぬパンを共に食することで出エジプトの出来事を想起し伝承してきたました。
イエスは過ぎ越しの食事をする場所を準備させるため弟子をある人物のもとに遣わし次のように指示しました。『先生が「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をする」と言っています。』(16.18)
この「わたしの時」とは十字架と復活の時です。即ちイエスは過ぎ越しの食事を「わたしの時」として、十字架と復活による新たな契約の印を込めました。ユダヤ教会が過ごしの食事によって出エジプトを伝承してきたように、キリスト教会は聖餐式によって十字架と復活を伝承してきたのです
M.L.キング牧師はご自身の夢を次のように語りました。「I have a Dream。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。」
異なる者が一つのテーブルで共に食するとは和解の象徴です。聖餐式とは正に神と人間の和解であり、それ故に人間同士の和解の場であります。例え対立や信仰理解に違いがあっても聖餐式はキリスト教会の根幹である十字架と復活を伝承し、それによって赦され共にキリストの身体と血を食してきました。故に何をおいても、ここで分裂するしては十字架と復活の意味を失います。
聖餐式は和解の食卓であり、和解するものらがはじめて和解を呼びかけそのために使えることが出来るのであります。

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