平和ではなく剣を

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタイ福音書10.34)

広島・長崎への原爆投下、日本の敗戦を憶えての反戦平和を訴える8月を迎えました。

「平和があるように」は聖書の重要なメッセージです。しかしイエスが「平和ではなく、剣を」というのは何故でしょうか。

某医大による女性受験者の一律減点問題により、性差別の一端が露呈しました。もしこのような日本が平和であるというなら、その平和は差別と不平等により成り立っています。

平和を希求するものは、何よりも先ず平和ではない現実を知るべきです。しかしそれを知ることはある意味、平穏な日常や社会、人間関係に剣を投じる事になるのかも知れません。しかしその剣は、「平和」の犠牲となり、歪んだ国の在り方から生じる矛盾を背負わされている人々を解放し、同時に自らも解放します。

見て見ぬ振りをしてきた現実と向き合い、犠牲の上に成り立つ平和に剣を投じる8月を過ごして参りたいと思います。

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