信仰の通過点(ヨブ記7:1~21)

「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください。私の一生は空しいのです。人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか。朝ごとに訪れて確かめ、絶え間なく調べられる。」(7:16-18)

それは、子が親の厳しさとしつこさに耐えかねて、「もう放っておいて下さい」と親子の縁に一石を投じている。

最早、ヨブは神に苦難の理由ではなく、その前提である神と人の関係に疑問の矛先を向けている。即ち神は義であり人はその義なる神に仕えるという(これまで当然でと思われていた)前提を問い、「もう放っておいてくれ」と叫んでいる。

信仰者は神を信じるが故に苦しむことがある。信仰を捨てさえすれば楽になれるのに。しかし神と出会ったものは(例え理不尽と思える現実を目の当たりにしようと)、その真実から逃れ難いものである。

ヨブはその難しさの中で今苦しんでいる。誰もこのような苦しみの渕に立たされることを望みはしない。しかし当然の前提と思われるものが崩される恐怖を避ける者は自己満足的な信仰に陥る。

本章のヨブを支持できるとは言い難い。しかしこれは信仰者にとって必要な通過点ともいえる。愛故に苦しんだ事のない者が、神の愛を知らないが如く、苦しみの中で神と己の関係が一度も崩された事のない者は、神と己が何者であるかを知らぬに等しいのかも知れない。

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