日常を生きる教会

今年度から農村伝道神学校の校長にロバート・ウィットマー先生が就任しました。先週、教団総会開催中2日目の夜、北村慈郎教師の免職撤回を求める支援集会でウィットマー先生がカナダ合同教会について講演なされました。ウィットマー先生は1969年(当時21歳)、カナダ合同教会からの派遣宣教師として来日され、長らく北海道道北センターの責任を担ってこられました。

ウィットマー先生の講演は、教団総会開催中ということもあり、教団の不自由さとカナダ合同教会の豊かさが際立ちました。例えば教団の総会議長は正教師と定められており、しかもこれまで女性議長はいません。しかしカナダ合同教会は信徒にも議長資格があり(過去に4名)、更に歴代の議長には女性は勿論、ゲイ、レズビアン、脳性麻痺障がい者、黒人、エイズ患者、少数民族出身者など真に多彩であります。

カナダは多民族国家でありそれ故に多様性が尊重された国という印象があります。しかしウィットマー先生の講演によれば総会では様々な差別に関する事例が報告されるとの事です。教団総会はその殆どが予算決算、選挙に関する法定議案に時間がさかれますが、カナダ合同教会の総会は1週間開催され人権問題にカナダ合同教会が如何に取り組むかについて多く議論されるとのことです。教団総会でも人権や社会問題に関する議事が提案されますが、その殆どは時間切れ審議未了廃案となります。

カナダ合同教会は会員(教団でいう信徒)以外に、会員でない信徒もいて、その人々は皆カナダ合同教会を日常的に必要としているとのことです。おそらくカナダは多民族国家であるが故に民族間の摩擦や人権問題が日常の課題であり、教会は多様性の尊重が必然的に宣教の中心課題となって人々から関心と支持を得ているのだと思います。

日本基督教団の日常的課題と、その必然から生じる宣教の課題とは何でしょうか。決してこの日本に差別がない訳ではなく日本は単一民族である訳でもありません。しかしその多くの日本人にとって、教団のキリスト者にとってそれは日常たり得ないのでしょう。

今回の教団総会は財政難による機構改革と教団の存続がその中心でした。確かに大切なことではありますが、人が生きる日常に関わりを持たない組織は遅かれ早かれ滅びます。そして教会が着目する日常とは、「これらのいと小さき者が滅びることは神の御心ではない」という教えにあります。

貧しい者、苦しんでいる者、虐げられている者が教会を必要として止まないならば、そんな日本基督教団を神が存続させない訳がありましょうか。

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