美しい瞳である為に、相手の良い所を見つめなさい。
美しい唇である為に、優しい言葉だけを話しなさい。

 上は、先週TVで紹介されていたオードリーヘップバーンという女優の言葉です。20世紀最高の美女と名高い彼女から「美しい瞳(唇)である為に」という言葉を聞いた者は、その後に美容に関する事柄が続くことを期待します。しかしその期待は良い意味で裏切られます。

彼女の名言を意識しながら一日を過ごしてみると、確かに私には批判的な言葉多く、他人の欠点ばかりが見えています。

彼女は何が言いたかったのでしょう。それは美しさとは何であり、そもそも唇は、瞳は、何のために与えられたのか?その本質と向き合っているのでしょうか。

少々飛躍するなら、これは福音と律法の関係にも喩えられます。どれだけ美しく化粧した所で、唇自体が美しさを語らず、瞳自体が美しさを発見出来ないのであれば美しいとは言えません。

もちろん美しさだけが全てではなく、光があれば闇があり、闇を知らぬ者は光を知りえません。

スクリーンを通じて美を演じる女優が、そのスクリーンの裏側にある醜さに苛まれ、その狭間で苦しむ姿と、そこから真の美の境地に至るオードリーヘップバーン心を「美しい瞳である為に・・・」という一文の行間に垣間見る思いです。

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