身につける

先週木曜日、仕事が手につかず気晴らしに一人でこっそり映画を観に行きました「日日是好日」という意味も読み方も分からないタイトルでしたが、上映時間の頃合いもよく、また樹木希林さんの遺作ということでこれに決めました。観終わった後、自分に欠けている致命的なものを静かに示されたような気がしました。

映画の殆どが茶室でのお話でした。自分は何をしたいのか目的を見いだせない女子大生が両親に勧められて従姉妹と一緒に茶道を始めます。お茶には形があってその形を基本から学んでいきます。彼女たちはその形の意味を一つ一つ先生(樹木希林)に問いますが、「さて、何かしら、とにかくそういうものなんです。お茶はね形から入るものなのよ。はじめに形を作っておいて後から心が入るものなのよ。」と先生はそっけなく答えます。

人間は頭で理解しますが、しかし身につくという言葉あるように、身体が覚えることは身体に理解してもらうしかないのでしょう。毎回、茶室で同じことを繰り返す日々が流れ、その定まった形を自然に身につける中で、彼女は次第にこれまで気づかなかった事に気づき始めます。例えばお湯と水の流れる音の違いや、父がどれほど自分を愛していてくれたか等。

最近、最早何が正しい事か?を突き詰める段階ではないと思い始めています。それは大切なことですが何故か虚しい頭で考え混んでしまいます。そこには、こうすれば隣人を自分のように愛せるのだ、そう出来ない原因が何処かにあるのだという、まるで数学の方程式のような答えがあると思っているのです。

映画を観終わって、隣人を自分のように愛するとは、身につけることであって頭であれこれ考えることではなかった意味も分からず形から入って良いのだと思った時、ユダヤ人にとっての律法(形)を再発見した思いでした。

茶道を初めて24年、映画の最後に主人公は一人つぶやきます。「世の中には直ぐに分かるものと分からないものがある。直ぐに分からないものは長い時間を掛けて少しづつ分かってくる。

映画公式サイト:https://www.nichinichimovie.jp

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