詭弁

先週の14日、米軍普天間飛行場の移設工事で政府は沖縄県民の民意を無視し辺野古の沿岸部に土砂投入を開始した。その翌日、岩屋毅防衛相は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「日米同盟のためではない。日本国民のためだ」と述べると共に「沖縄の過重な負担を減らしていく決意の下に、(辺野古沿岸部埋め立ての)こういう判断を行っている」と記者団に述べている。

これは全くの詭弁である。日本国民のためだと言うなら、沖縄県民は日本国民ではないのか。辺野古埋め立てを日本国民である沖縄県民は拒否しており且つ県民の負担軽減にはなっていない。アメリカに抗えない日本政府が沖縄に負担と犠牲を負わせるのが事実であり、「日本国民のため・県民の負担軽減」というのは詭弁である。

辞書によれば詭弁とは、「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法」と記されている。今日本はこの詭弁が横行している。強引であろうと、見せかけであろうと説明が付けば良いのである。最早詭弁は詭弁でなくなりつつある。

このような詭弁が「正当性」を持つのは独裁とか封建社会である。日本の民主主義が後退している。即ち対話がなされなくなってきている。数だけで物事が機械的に決められている。民主主義は数で決定するシステムであるが、それは少数者・弱者の声に十分耳を傾けた対話を前提としている。それが欠落した所では詭弁は正当化され弱者はその犠牲になっていく。その象徴的事件の一断片として先週「日本国民のため、県民の負担軽減のために」辺野古に土砂が投入されたのだ。

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