中庭(マタイ福音書26:69~75)

 ペトロはゲッセマネで逮捕されたイエスを追って大祭司邸の中庭に侵入した。当時の一般的な家屋は四角形の広い部屋が一つだけの単純な構造だが、上流階級の屋敷は複数の部屋があり、各部屋の入り口は全て中庭に通じ、中庭は屋敷の外に通じている。即ち中庭は屋敷の各部屋と外部を繋ぐ中間地点にある。

ペトロはイエスの後を追い危険を承知で踏み込んではいるが、同時にいざその時逃亡できる位置を確保している。そして「お前はイエスの仲間だ」と追求され、彼はイエスを裁く屋内ではなく外側へと逃げて行った。

中庭とは、中途半端で危険な空間である。イエスの後を追いかけはするが、さりとて屋内に入り込むまではしない。イエスに従う姿勢を保ちながら、しかしいつでも逃げられる位置を担保している。ペトロは大祭司邸の中庭に侵入した故に、追い詰められた。そしてイエスを見捨て逃亡し激しく泣くのである。

しかしここで涙した者こそが十字架を悟るのだ。自分の身代わりに主が十字架にお架かりになったというその意味を悟るのである。贖罪論という教義ではなく、流したその涙で悟り、その涙が復活の希望へと開かれている。

そして私たちも今、ペトロと同じくその中庭に立っている。否、せめて中庭まで入っていこう。

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