1月2日の朝、初めて箱根駅伝を観戦しました。午前8時半、国道に出てみると既に沿道は観戦者で埋まっていました。
インターネットで配信される映像で先頭集団が多摩川の六郷橋を渡っている様子が確認できました。数分後、大歓声と共に次々とランナーたちが駆け抜けていきました。間近で見たその姿たちは寒さに震える観衆の前を、流れる汗が蒸気となって沸き立っているのが見えてきそうな程に熱気を発しておりました。
3分間ほどで一人を残し全てのランナーたちは鶴見中継所ヘと向かって行きました。最後の一人、彼はスタートして間もなく転倒した大東文化大のランナーです。足を痛めながら走る様子が映像に映し出されています。彼が川崎を通過するまで、まだしばらく時間がかかりそうですが観戦者はみな最後のランナーを待っています。「大東が来るまで待ってよう」という声があちこちから聞こえてきました。そしてようやく足を引きずりながら走ってくる痛々しいランナーが見えました。声援は一層大きく足を痛めながら走るそのランナーに注がれました。声援の力とは凄まじいものだと感じつつ、しかし「頑張れー」という声援たちが否応なしに彼に走ることを止めさせないでいるようにも見えました。
駅伝をキリスト者の生涯に例えるなら、自分一人で完走するのではなく各々が任せられた区間を走るものだといえます。たとえ自分が躓いてもタスキを託す次のランナーが待っています。そしてそれぞれが痛める足を引きずりながらも声援に支えられています。しかし見方を変えれば、その声援はリタイヤしたくても走ることを止めさせてはくれないのです。もしかしたら福音とはそんな声援のようなものかも知れません。声援に後押しされながら足を痛めて最後尾を走るランナーの後ろ姿が、自分の十字架を背負って歩むキリストの弟子と重なって見えました。