宗教の生命線

「毎月勤労統計」の不正調査が問題になっています。しかし政府が情報を隠蔽したり不正に書き換えるのは今に始まったことではなく特別驚くことではありません。しかしこの問題が他の不正問題に比べてかなり大ごとになっているのは国民の多くが損害を被るからでしょう。

 毎月勤労統計の給与額は、雇用保険や労災保険等の給付額算出に利用されており、総額567億円以上の過小給付が見積もられているとのことです。

あたり前のことですが、誰でも自分の損害には敏感で他者のそれはには鈍感です。私も自分の子どもが朝鮮学校に通っていたからこそ家計を直撃する補助金停止問題は大ごとでありました。

しかし宗教者の判断は己の損得に左右されず、三権分立の如くそこから独立していなければなりません。キリスト教の教えに鑑みるならば、むしろ自分以外の少数者に寄り添いそこから見つめ行動していくものであります。そこに宗教というものの生命線があります。即ち、くどく言えば自分の損得(権利ではない)と完全に無関係であるが故に、そこに真実というものが辛うじて生息し得るのです。

小泉純一郎のものまねをするお笑い芸人のネタで「そもそも福島の原発はクリーンで安全だった。万が一という事は絶対になかった。では何故東京湾に原発を造らないのか?それは万が一の事を考えたからだ」というのがあります。笑いを取りながらも少数を軽んじる醜い本質を見事に暴いています。

今国会では沖縄の辺野古埋め立て問題や原発問題への抗議の声が次第に小さくなってきているように感じます。大勢の損失に関わる問題の引力に安易に引き込まれるのではなく、その陰で苦しむ一部少数の声に真摯に耳を傾けて参りましょう。それが宗教の大切な役割でありキリスト教に課せられた見張りの使命であります。

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