黙る知恵(ヨブ記12.1-13.12)

どうか黙ってくれ

黙ることがあなたたちの知恵を示す

私の議論を聞き

この唇の訴えに耳を傾けてくれ

(ヨブ記13.5-6)

  人間は物事を認識するとき、自分の知り得る知恵と照合する。友人らはヨブの苦しみを既知の神学で説明した。ヨブ自身の罪の結果(裁き)であると。しかしヨブに言わせれば、そんな理屈は獣や自然でも知っていることである(12.7-9)。寧ろ神は絶対者であり、神が否といえば否となり、然りといえば然りとなる(12.9-21)。ヨブは友人らの考えが幼稚であり、且つ理由もない絶対者の意思の結果で苦しめられていると神を皮肉っている。
苦しみの渦中にあるものは、その苦しみの理由の説明を欲していない。それらはヨブにとって「偽りの薬を塗る、役に立たない医者」(13.4)同様である。ただ黙って訴えを聞いて欲しい。それこそが知恵であるとヨブは訴える。

まだ十分に訴えを聞き取っていない段階で理解してしまうのは愚かなことだ。しかし総じて人間とはそういうものかも知れない。既知の知恵との照合が完了するや否や語り始めるなら知恵は既知で安穏(あんのん)に暮らし(12.5)、成長することはない。

今は訴えに耳を傾ける時。黙ることが知恵を示す。沖縄から福島から訴えの叫びが上がっている。まだ十分に聞き取っていないのかも知れない。身勝手にも、未だ自分の知る得る知恵との照合を終えただけなのかも知れない。

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