毎年、イースターを迎える度に復活の説明に悩みます。事実、原始キリスト教以来、復活について議論されて来ました。(Ⅰコリント15.35)
「復活とは死者が蘇生することではない」と言い切れいないのは、そのような信仰を大切にしている人もいるのであって、その信仰によってその人が如何に生きているかに着目するなら、重要なのはやはりその信仰を如何に生きているかが復活の内実ではないでしょうか。
人は生まれ、必ず死ぬ。この避けることの出来ないこの法則の下で「如何に生きるか」という問いが存在します。しかし復活とは死がもたらす限られた時間(死から逆算される残された時間)を生きるのではなく、死を貫いた永遠の時間の下に今この瞬間を生きることです。即ち自身の限られた時間内で戦争のない平和な世界を見届けられぬとも、たとえ明日この命が朽ちる事を知っていようとも、復活とはその時を信じ、私がなすべき命を今生きることです。であるとするならば、復活を信じて生きる人はキリスト者に限るものではありません。
ただ私たちはイエスキリストの十字架によって死に勝利する道が示されました。死に支配されない復活を受け継ぎ、此れを生きてこそ、其れは永遠の命として次の世代へ引き継がれていくのです。何と希望のある命ではないでしょうか。
金は残さない、名も残さない、しかし先達者より受け継いだ主の永遠の命を受け継ぐ人々をこの世に残して逝きたいものです。斯くして私たちは死に勝利し永遠に生きるのです。