犠牲者

「犠牲者」 マタイ福音書27:15-26

孫裕久

最高法院で有罪判決を受けたイエスはローマ総督ピラトのもとに引き渡れた。その理由はローマの属州であったユダヤには死刑執行権がなかった為と考えられている。ピラトは妻からイエスに関わることを控えるように進言されていた。一方、祭司長らはイエスを是が非でも死に追いやりたかった。この板挟みに置かれるピラトの優柔不断な態度が本章に描かれている。

ピラトは慣例の恩赦でイエスを救おうとするが群衆はバラバを選びイエスに死刑を求めた。この時、群衆と祭祀長らとの間で何らかの取引があった様子を匂わせている

積極的にイエスを殺害したい祭司長たち。その祭司長らとの取引で動員された群衆。どちらでも良いが総督として混乱だけは避けたいピラト。イエスの命はこのような人間の野心、取引、責任逃れ、そいうものの犠牲となった。ここに犠牲者を取り囲む人間の醜い罪が描かれている。

基地を押し付けられる沖縄県民、原発事故による被災者、これらは様々な野心や取引、責任逃れの犠牲者である。そしてそれを問題視しながらも、自らに責任が無いがごとく問題視しているだけの我々自身も含めて。イエスの十字架はそのような人間の罪を暴露している。

神はこのようなイエスの十字架を通して、これらと向き合うことを我々に要求しているのだ。そこに(即ち自分自身の罪と)向き合うことの出来る者に、共に生きる救いの道は開かれ、イエスの犠牲は意味を獲得するのである。

1件のコメント

  1. 技能実習生について
    技能実習生についてのニュースを、テレビや新聞で見たり、読んだりしたことがある。
    奴隷労働に耐えられずに、逃げる人もいるらしい。
    行政が、技能実習生を守らなければ、暴力団員になってしまう
    ということも、あるかもしれないし、ないかもしれない。
    自分は、技能実習生制度に反対である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です