教会の原点

K・バルトの著作に「啓示・教会・神学」という小論文があります。そこにはキリスト教が陥った過ちの歴史の反省に立ち、神と教会と神学する事について考察されています。その第2章「教会」でバルトは次のように述べています。

「以上二つの誤りには、それが教会を、同時にあまりに大にし、またあまりに小にするという、二重の事柄が共通している。あまりに大というのは、これらの誤りが人間にあまり信頼することであり、あまりに小というのは、それが神にあまりに信頼せぬことである。

文中の「二つの誤り」を要約するなら、一つは教会が真理を保持しているとする傲慢と、その傲慢から生じる権威(ローマ・カトリック的誤り)であり、今一つは、教会はあまりに学問的にそして自由に聖書や信仰を理解し(近代主義的誤り)、その理解の上に存在している。そしてこの二つは神ではなく人間中心である点において共通しているとバルトは論じているのだと思います。

教会はその行いが如何に立派であるかでその意義が問われるのではなく「神(真理)が語られる故に我は聞く」という原点に常に立ち返るこの一事が教会を教会たらしめるのだとバルトは説いています。

真理を掌握してしまったが故に教会は権威を持ち、過ちを犯してしまいました。教会は何が真理であるかを知りません。ただそれを知り得ない者であることの自覚と、それ故に真理に耳を傾けて行くことを止めない存在、それが教会の原点であることを折に触れて確認して参りましょう。

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