本質を問う時(ヨブ記13.20-14.6)

人は女から生まれ、人生は短く

苦しみは耐えない

花のように咲き出しては、しおれ

影のように移ろい、永らえることはない。(14.1)

御目をこのような人間からそらせてください。(14.6)

本章のヨブの言葉は、神と訴訟する攻撃的な態度は後退し、そもそも神とは人間とは何なのか?というその本質に関心が移動している。これ以前のヨブは苦難の理由を問うてきた。そして自らの無実を主張してきた。しかし今ヨブは(一般論として)若年期の些細な罪を認めつつも(3.26)、所詮人間は、永遠の神に比べれば短く儚い定めにあり、神がこんな取るに足りない存在を何故裁き、その裁きに何の意味があるのかと疑問を呈している。そしてそんな裁きよりも寧ろ見て見ぬふり(14.6)をして下さらないか、それが神ってもんじゃやないですかねと言わんばかりである。

人間はその本質を求める時、不思議と悲しみや苦しみの渦中にあることが多い。今ヨブは苦難の原因に対する関心から離れて、神とは人間とはという本質に関心が移っている。苦難に遭遇する人間の関心はその本質に向かっていく。おそらく苦難の渦中にあって「それでも生きていこうとする意志」や「原因と結果」だけでは納得し得ない何かが、神とは何であり、人間とは何であるのかを考えさせずにはいさせなくするのであろう

何れにせよ本質を問う背後には苦難があることを忘れてはならず、その苦難と切り離して神について人間について思考することは机上のお遊びに過ぎないのだ。その本質を問う声の背後にある苦難を見落とさざるべから

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