復活信仰を生きる(ヨブ記14.7~22)

 基本的に旧約聖書に復活信仰はないと考えられています。旧約の救いは神とアブラハムとの間で交わされた土地取得と子孫繁栄(創12)であり、人は土より生まれ土に帰る存在であると考えられているからです。

しかし、若 12.1-2、イザヤ26.19、エゼキエル37.4-6)そして、今回のヨブ記(14.13-17)もその一つです。ヨブは苦しみから逃れるために一旦死ぬことを願います。しかし時を定めて思い出し全ての罪を赦して再び呼び出されて生きる希望を抱いています。これら例外の共通項は苦しむ人々であります。

復活などあるのか?復活とは何か?と問うことは出来ません。何故なら復活とは苦しみのどん底に生きるものにとっての希望であって、そこに立たない者がそれを認識する事は出来ないからです。

さりとて言葉に出来ないものを、それでも言葉にしなければならないのが神学の定めです。それはK.バルトが「人は神の言葉を語ることは出来ない。出来ないけれど語らねばならない」と言ったことに等しいです。

復活とは、死んでしまいたい程の苦しみに放置された者にとって「それでも生きる事を放棄しない力(希望)」であると私は思います。そんな力(希望)が何処にあるのか。それは復活を理解できないでいる私そのものであります。復活信仰を生きる彼らの力(希望)として生きることも又復活信仰を生きるということではないでしょうか。

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