執り成しの主

日韓間関係が悪化しています。対立し合う者同士では和解の糸口が見いだせない時、双方の間に立って執り成す第三者の役割が期待されます。

執り成すものは、もめ事の中に立って仲直りをさせるのがその務めです。振り返れば私の母は、父と子どもたちとの執り成しが彼女の人生でした。執り成すものは双方の気持ちを理解し他方にそれを代弁します。それ故ともすると双方から非難を浴びる事にもなります。「お前はどっちの味方なのか」と。

イエスは実らないイチジクの木の譬えを話されました(ルカ13.6-9)。主人は実をつけないそのイチジクの木を切り倒すよう園丁に命じたところ、園丁はもう一年待ってみて欲しいと執り成します。キリスト者は神の救いの時を待ち望んでいます。しかしイエスの譬えが言わんとしているのは、待っているのは寧ろ神の方であって、それは主の執り成しによるものだということです。

イエス・キリストは執り成しの主です。神と人の和解をその務めとし、神と人に見捨てられました。執り成しとは割の合わない務めですが、争いのあるところに執り成しを祈り、その執り成しの器として自らを用いていく。それも、キリスト者の生きる道であります。

日韓関係が悪化の一途をたどっています。双方に言い分があり譲れない一線があります。誰かの執り成しなしにはどうにもならない状況にあります。しかし誰も火中の栗を拾おうとしません。今、執り成しの主を信じるキリスト教会がその十字架を担うべき時ではないでしょうか。CCA(アジアキリスト教協議会)等が中心となり日韓の対話と交流の促進を強く願うものであります

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