現実の中で(ヨブ記15:1〜16)

しばらくヨブは友人らとの議論を離れ神に直接抗議していた。その様子は友人らから見て傲慢極まる態度であった。そして再びエリファズが口を開いた。

「あなたを罪に定めるのはわたしではなく、あなた自身の口だ」(15.5)

罪なき者の苦難の理由を知りたいヨブに対して、エリファズはその傲慢な態度そのものが罪なのだと反論する。

最早、議論が噛み合っていない。しかしこれが我々人間社会の現実なのかも知れない。この世界はそんなに理路整然と物事を整理できるものではなく、様々な立場や感情や関係性の中で人間の言葉は噛み合わない。その噛み合っていない事自体を否定するのではなく、そこにこそ我々人間が身を置くべき現実というものが存在するのではないだろうか。それを空の上から客観的に評論する輩が、分かったような顔つきで現実の中でもがく人々を愚弄している。

そろそろ時間も経過し同じ議論を繰り返して読者は疲れを覚え始めている。しかしヨブ記はその読者に対して、「そこから観察するのではなく、噛み合わないこの議論(即ち現実)の中に身を投じては如何か」と問いかけている。即ち、この噛み合わない議論を否定するのではなく、これを承認し泥沼に自分もどっぷり浸かることが、この議論の本質を明らかにする近道であり、その道の先に用意されている嵐の中から答える神の言葉(38.1-)を理解し得るのだろうと。

今暫く、しんどい議論が続くが、このしんどさから逃げずに読み進めてまいりましょう。

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