ヨルダン寮(1)

 私がはじめて多摩川河川敷に建つ川崎戸手伝道所を訪ねたのは1991年5月の主日礼拝でした。それは農村伝道神学校に入学しまだ奉仕教会を模索していた時のことです。礼拝後、一人の老人が私へ声をかけて下さいました。「孫くん、いいか、間違いなから・・・間違いなから・・・」。何が間違いなのか?おそらくは求道者に対する伝道であったのでしょう。その老人こそが元ヨルダン寮の家主であられる金萬守アボジでありました。

金萬守アボジが未だヨルダン寮にお住まいの頃(当時は未だヨルダン寮とは呼ばれていませんでした)、堤防と道一つ挟んだ街区(戸手3丁目)に建つ川崎戸手伝道所に併設されたこひつじ保育園に息子の金光燮くん(キムカンスビ)が入園してきました。これを切っ掛けに関田牧師と金萬守アボジの関係がはじまりました

後に金萬守アボジは住まいを売却し街区に移り住みたいとの相談を関田牧師に持ちけます。関田牧師はこれを好機と捉え、買い手を探すのではなく川崎戸手伝道所として購入する事を検討しました。しかし不法占拠する建物をキリスト教会が所有する事について当時は未だ教会員の十分な理解を得られず、関田牧師個人として家屋を購入されました。その金額500万円。土地は河川敷、一部川の上にせり出した手作りのバラック当然の建物に500万円の価値などありません。しかし関田牧師は金萬守アボジの言い値で購入されたとの事です。

さて買ったは良いが遊ばせて置くことも出来ず、関田牧師はご自身が勤める青山学院大学の学生に「敷金礼金家賃無し、水光熱費だけ自己負担との良い物件があるのだが・・・」と持ちかけ、良い意味で騙された学生たちが河川敷に建つ旧金萬守宅に住むようになりました。彼らにとってそれは寮のようなものでした。寮であるなら名前が必要と寮生らは関田牧師に依頼したところ、関田牧師は奥の水上間から眺める多摩川をヨルダン川に見立て、この河川敷の地に神の約束(和解)が成就せんことの願いを込めて「ヨルダン寮」と命名。かくしてヨルダン寮が誕生いたしました。

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