ヨルダン寮(4)

ヨルダン寮は寮生あっての名称ですが、後に川崎戸手伝道所の礼拝堂として用いられるようになってからもその名は引き継がれました。河川敷の住民からはキリスト教会という認識は薄く「ヨルダンさん」とか「ヨルダン教会」と呼ぶ方もおられました。またそば屋の出前も河川敷内の川崎戸手教会と言っても通じず、ヨルダン寮といえば「ああ、ヨルダンね」という具合でした。このヨルダン寮は日曜日には礼拝堂として用いられながら一方で様々役割を担う事となりました。
1991年から第二次大戦による戦後補償を求める韓国江原道の原告団24名が裁判の為に来日した際の宿泊所として、また江原道遺族訴訟を支える会の事務局として用いられました。
1992年から建設省のスーパー堤防事業に対する住民組織として結成された戸手河川敷住民の権利を守る会、支える会(後の戸手四丁目河川敷住民の住環境を改善する協議会<略称:戸手住環協>)の事務局として又住民総会の会場として用いられました。
1995年から幸市民館との共催事業として始まった戸手地域懇談会(後の夜談会)の会場となり、河川敷住民と街区の人々との出会いと交流の場として用いられていきました。
1997年、以上の課題を地域活動として総合的に担う戸手地域活動センターがヨルダン寮に設立されました。更にその活動に参加した東京理科大建築科の研究生たちの支援はセンターの地域活動を大いに支え、ヨルダン寮を中心に河川敷内で豊かなフィールドワークが実践されました。
そして河川敷で生まれ育つ子どもたちの学習支援、高齢者支援のプログラム企画実践され、2001年から今日まで至る高齢者サロン会が誕生しました。

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