主の僕

新しい年を迎えました。今年は宗教法人取得と新会堂建築という大きな課題があります。その最中にあって、昨年10月には台風19号による水害でヨルダン寮が被災しました。河川敷での宣教から新会堂へ移行するこの時期に神様は私たちに試練をお与え下さったのだと受け止めたいと思います。
宗教法人取得と新会堂建築は大切な課題ではありますが、キリスト教会としてそれは本質ではありません。週報に記載されていますように「聖書による独立・神と人への奉仕」この一句に川崎戸手教会の本質があると思います。
第二イザヤは捕囚期末期の預言者でその特徴は「新しさ」であります。
「見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう」(42.9)
バビロン捕囚の民に解放を告げる予言の中で第二イザヤは主の僕に言及します。その特徴は「叫ばず、呼ばわず、声を巷に響かせない」(42.2)「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」(53.3)「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ」(53.5)その僕の生き様が即ち救いをもたらします。
預言者は言葉を語り、王国は武力を行使しました。しかしこの主の僕は言葉や力ではなく、その生き様をもって救いをもたらすと第二イザヤは予言しています。
法人格や新会堂がどうであれ、これからもその生き様を持って福音を伝える川崎戸手教会であり続けましょう。

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