紙一重(ヨブ記16:18-17:16)

大地よ私の血を覆うな、私の叫びを閉じ込めるな。
このような時にも見よ、天には私のために証人ががあり、高い天には、私を弁護してくださる方がいる。私のために執り成す方、私の友、神を仰いで私の目は涙を流す。(ヨブ記16:18-20)

人が絶望のさなかで死ぬ前に出来ることは、永久の抗議を地上に残すこと、そして天上の証人<執り成す方>に期待することである。ヨブは自分の血がいつまでも大地に残って抗議を続け、自分の死後、執り成す方によって正しい裁きが行われることを期待している。この執り成す方とは神でも無ければヨブを訪ねた友人らでもない。誰とも分からないが、兎にも角にもいつか必ず誰か執り成す方が自分の死後潔白が晴らしてくれるであろうことを期待している。
ここにはヨブの諦めが表出している。もはや生存中における潔白と回復を望めないヨブの諦めである。これは宗教者に限らず、正義や真実なるものを追求する者の行き着く境地かも知れない。いつの日か分かる時が来るであろうと未来に託して今を諦めるのである。
これを諦めと呼ぶか希望と呼ぶかは紙一重であるが一般論では論じ難いであろう。しかしそれにしても紙一重なのである。今私はそこに希望を託したのか、それとも諦めて逃げたのか。
何れにせよ苦しい境遇で逆転を望めそうにもない状況下で自分を納得させようとしている。突き詰める所人はそこに行きつのであろうか。ゲッセマネで孤独に神に祈ったイエスも最後は自分を納得させたといって誤りではない。しかし命ある限り、その瞬間私は希望を託したのか、諦めて逃げたのか、その問いからだけは逃げないでいたい。同じくヨブはどうであったのか。結論を出すには早すぎる故忍耐して先を読み続けて参りたい。

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