議論しよう

衆院代表質問で22日、野党議員が選択的夫婦別姓の導入を求めたところ「それなら結婚しなくていい」という趣旨のヤジが与党側から飛んだ。野党側は与党に対しこのヤジを飛ばした議員を確認し謝罪するように求めている。
国会とは異なる価値観や考え方を突き合わせて議論を戦わせる場である。例えヤジであろうと、夫婦別姓を受け入れ難い人がその場に居て当然である。
一つの正義に対して逆の方向に同じだけの質と量を持った正義が存在する。あるいは宇宙には、唯一無二の真理が存在し、それを解明する方程式があるかも知れないとも思うが、ただ、それに届くほど私の手は長くない」(小説:銀河英雄伝説より)
人間は誰しもが自己の正しさを持ってはいるがそれを絶対化してはならない。むしろいつもどこかで自分を疑う視点が必要である。人間は(この場合民主主義はと言った方が適当かも知れないが)だからこそ武力(力)ではなく議論を戦わせるのだ。
これは決してヘイトスピーチではない。ヤジといえども対等な議論の場でなされた発言であり一足飛びに謝罪を要求するのは企てである。そのような謝罪要求は自由にものを言わせない独裁制を生む苗床になりかねない。真っ先に謝罪要求するから当事者は頑なになる。先ずは発言の趣旨をお聞かせ願いたいとするのが議論の作法ではなかろうか。謝罪があるとするならその先のことである。
多様性を認めるとは無条件に容認することではない。対話や議論の対象から除外しないことである。何方が正しいかではなく正しく議論を戦わせる事に意味がある。それが民主主義だ。

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