主権在民

人民が主権をもち、人民の意思をもとにして政治を行う考え方を民主主義といい、その民主主義にもとづいて行われる政治が民主政治です。リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」と述べましたが、これは民主政治の特色をよく表しています。
そしてかかる理念は国民の代表者を国民自身らの選挙で選ぶことで実現しており、国の政治を決定する最終権限、即ち憲法が云う所の主権が国民に存する事を保証しています。申し上げたいことは、それ故に民主政治において国民は政治の失敗を他人のせいには出来ないということです。
先週の国会中継(予算委員会)で首相の聞くに堪えない答弁を視聴つつ、彼本人に対しては怒りを通り越して呆れる他なく、むしろ主権者に対して疑問を抱いた次第です。それでも内閣支持率が下がらないのは何故か?主権者はこの政権を失敗であるとは認識していないのではないか、という疑問です。
ロッキード事件を契機に国会議員の倫理を問う世論が高まり政治倫理審査会なるものが設置されましたが、主権者は最早政治と政治家に倫理なるものを求めていないのではないか、という疑問です。
民主政治は遠廻りで決定に時間を要し、ともすると審議未了廃案もある。もしかしたら日本は民主主義でありながら専制君主による迅速な政治体制を求めているのではなか、という疑問です。
かかる疑問らに共通するのは主権者が主権者であることの無自覚であり、それは第二次世界大戦による歴史の反省から生み出された日本国憲法(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)の意義が継承されていないのが原因の一つだと考えます。
そして首相はその日本国憲法から国民の主権を無力化し、基本的人権を国家の下に制限し、平和主義を放棄して、憲法を愛国心溢れる臣民の規範に作り変えようとしています。
しかしそれでも民主政治において国民は政治の失敗を他人のせいには出来ないのです。今の所、まだ主権は国民にあるのですから。

• 主権:国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利。


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