復活の証人(ヨハネ20.11-18)

「婦人よ、なぜ泣いているのか」。これは復活の主の最初のお言葉です。イエスはマリアの泣いている理由がわからなくて、聞いているのではありません。
イエスは泣いている人のもとに現れる方であり、その理由がなんであれ、泣いている事実に寄り添う方であります。そして、何故泣いているのか?そこ耳を傾けて下さいます。
人間は健やかな時には神の存在を身近に感じても困窮するときは目の前の主に気づくことができません。
イエスが「マリア」と呼びかけ、マリアが「先生」と応答した時、イエスは「わたしにすがりつくのはよしないさい」と距離を置きました。
この言葉の意図は、もはや主を通して神を知る者ではなく、自分自身を用いて神を証する者になることを命じています。
 復活の朝は悲しみから始まりました。主イエスは悲しむ者のもとに顕れ喜びをもたらします。その喜びとは主が復活したという事実だけではなく、自らが復活の証人として派遣される喜びです。
 復活の証人に託された使命は、互いに愛し合うことです。主は私たちを愛して父なる神を顕して下さいました。復活の主が「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言って期待されているのは、次に私たち自身が互いに愛し合うことで喜びを得、主なる神を証ししていくことです。それが示されたのがイースターであります。悲しみが喜びに変わる新しい道を示されました。
 復活の朝、私たちは主に押し出されて喜び歩んでまいりましょう。

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