飼い主のいない羊

マルコ福音書6.30-44

イエスは船から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみいろいろと教え始められた。(6.34)

辞書によれば、羊は群れたがる性質をもち、群れから引き離されると強いストレスを受ける。また先導者に従う傾向があり、非常に食べ物に貪欲で、いつもエサをくれる人にエサをねだることもある。

以上から想像するのは、イエスが見た群衆は、行く先に迷う飢えた人々であった。彼らは言葉に飢え食べ物に飢えていた。イエスにはそのように見えたのだ。イエスは彼ら深く憐れんでいろいろと教え始めその先に僅かな食べ物で大勢が満たされた奇跡物語へとつづく。イエスの教えは言葉にとどまらずそれが事実となる。この物語に置いてもイエスの新しい教えは貫かれている。

この奇跡物語で注目すべきは、群衆がパンを求めたわけではではない。イエスの主体が彼らにパンを提供している。イエスのしたことは小さな種蒔きに過ぎない。それを成長させるのは神の国である。その小さな種蒔きによって、群衆の間でパンを持つものと持たないものが分かち合った。イエスの新しい教えは常に和解と共生を指し示している。

この河川敷の人々を思う浮かべるとき、それはまさに飼い主のいない羊のようであった。行政の援助は期待できない。かといって近隣住民が手を差し伸べてくれるわけではない。いずれは立ち退きになる現実に薄々気づきながらも、その日その日を生きている。ヨルダン寮とはそんな彼らに差し出された5つのパンと2匹の魚であったのかもしれない。それ自体が特別なのではない。ただ蒔かれた小さな種を神は用いて30倍、60倍、100倍に成長させてくださるのだ。

川崎戸手教会は、これからもそのように神が用いて下さることを信じて小さな種を蒔き続けて参りましょう。

孫裕久

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