新しい道

マタイ2.1-12

東の国から訪れた占星術の博士らは、今日でいうところの星占い師である。ユダヤ教はこの占い・魔術の類を避けた。これは異教の占い師がユダヤ人の王として生まれた方を拝みに来た物語である。

彼らは黄金、乳香、没薬を捧げた。一説によれば乳香、没薬は星占いの呪文を書くインクに混ぜる材料であった。即ち、それは彼らの大切な商売道具でありその対価として得た黄金(Gold)を加えて祝いの品としたのは、これまで依拠してきたものを捨て救い主を受け入れた象徴行為という解釈である。古い道を先ず捨てなければ、新しい道を歩むことは出来ない。

わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マルコ8.34)

しかし人間はある程度自分を捨てることは出来ても完全に捨てることは出来ない。それが出来るのは神であり、出来ない故に人間であり、人間であるが故に救いを求めるのだ。

キリスト者であるか否かは、その点をわきまえているか否かの程度の差である。しかしそれをわきまえないキリスト者と称する者は不幸かもしれない。それはまるで無自覚に右手で世俗を握りしめながら、自覚的に左手を神に差し出して救いを求め崇める滑稽な姿に例えることが出来る。

先ず握りしめているものを自覚してそれを捨てるところから始めよう。降誕節第1主日に捨てる話はつまらないかも知れない。しかし聖書がそれを要求している。要求する前に神ご自身が御子を捨て、御子は命を捨てた。わたしのために・・・。そこに愛があり真実がある。私たちはそれを信じているのではないか。

人間である以上全てを捨てることは出来ない。しかし取り敢えずそれぞれの乳香と没薬を捨てるところから始めてみよう。不足分は十字架のイエスにあやかり、その先に新しい道が拓かれることを信じて。

孫 裕久

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