マルコ12:35-37
予言によればメシアはダビデの末裔である。しかしその血筋でないイエスをメシアと信仰するキリスト教会は辻褄を合わせなければならなかった。曲がっている物を無理に真っ直ぐに見ようとするのは曲がっている。曲がったものは曲がったまま見て真っ直ぐなのだ。
最も重要な掟とする神を愛するとは、神の義を求めそれを生きるところにある。故に安息日を守って目の前の病人を癒やさない。汚れを避けて出血する傷ついた人に触れない。神を愛するには、否辻褄を合わせるにはそうする他ない。
イエスは最も重要な掟に第二を追加した。隣人を自分のように愛する。しかし神を愛する事と隣人を愛する事は必ずしも両立しない。
神を愛するが故に隣人を切り捨て、隣人を愛するが故に神の義を否定する。さて我々のなすべきは、二者択一か辻褄を無理に合わせることか。何れでもない。イエスが向き合ったその矛盾と我々も真っ直ぐ向き合おう。そこに自由の糸口があり、そこから真実に接近してくのだ。
孫 裕久