惑わされないために

マルコ 13:14-27

人は明日のことで今思い悩む。象徴的にいえば老後の為に今を生きている。複雑なこの現代社会を生きる上でそれは当然である。しかし隣人を自分のように愛する事の難しさは、明日の為に今思い悩んでいる事によるのかも知れない。

マハトマ・ガンジーは「明日死ぬと思って生きよ」との言葉を残した。余命宣告を受けた人と話したことがある。見た目には思い悩みから解放されているように見えた。明日死ぬ人は何かを貯蓄しようとはしない。むしろ明日以降も生きるであろう隣人のため残り僅かな自分の命を用いていこうとする姿がそこにあった。その命に意味を吹き込もうとしているようにも見えた。明日死ぬと思って生きるとは、日々終末を生きる事に他ならない。しかし平たく言えば明日死ぬと思って生きるとは、隣人を自分のように愛することではないだろうか。

イエスの教えは隣人愛をもって結論に達した(マルコ12.31)。この延長で終末論について語っている。弟子たちの関心は終末の時期を知りそれに備えることであった。しかしイエスは惑わされるなと忠告する。先々のことを予見してそれに備えるのは悪いことではない。しかしあまりにその事に捉われると不安の中に今日を生き、惑わす諸力に振り回される。キリスト者にとって終末とはそれがいつなのか?ではなく日々終末を生きることであり、平たく言えば明日死ぬと思って生きることであり、主イエスに言わせれば、隣人を自分のように愛することである。惑わされないために。

孫 裕久

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