目を覚ましていなさい

マルコ13:28-37

イエスは世の終わり(マルコ13章)について、時の徴を見極め常に目を覚ましているようにと結んでいる。目を覚ましているとは、隣人を自分のように愛する日常に他ならない。それは即ち私の隣人とは誰かという問いに返ってくる。

第二次大戦後、マルティン・ニーメラー牧師はナチスによる共産主義者・ユダヤ人等への弾圧迫害を回顧しながら、時の徴を見落とした反省を綴っている。当時ニーメラー牧師にとって共産主義者やユダヤ人は隣人ではなかったのだ。故に彼は時の徴を見落としたというのが『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』から受け取るメッセージではないだろうか。

マルコ13章を読み終えて思うのは、時の徴はと弱者、少数者、最後尾に置かれた人々に顕れる。そして彼らとの共生が目を覚まし時の徴を見極める術なのだ。

キリスト者にとって隣人を自分のように愛するとは余力を用いた慈善奉仕ではない。自分自身が寝ぼけてしまわないための活力である。そして真にいちばん先の者となり、時の徴を真っ先に見極め警鐘を鳴らすために。

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕えるものとなりなさい」(マルコ9.35b)

孫 裕久

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