対等であるために

日本キリスト教団は、11月第2主日からの一週間を障害者週間に定めています。これはNCCが1981年の「国際障害者年」をひかえた1979年3月に障害者週間を定め、NCC加盟団体である教団がこれに準ずる形で始まりました。

「障害者基本法」は1970年、障がい者の自立および社会参加の支援等を推進し、障がい者の福祉を増進することを目的として制定されました。その第三条には以下のように記されています。

「全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること。」

ここに、障がい者は社会を構成する一員であると謳われています。これは理念ではなく、障がい者が社会の構成員として(障がい者でない者と等しく)あらゆる分野で活動出来るように障がい者を支援し環境を整備していかねばならないとする指針であります。

キリスト教会も障がい者が教会で礼拝を守ること、また部会委員会活動そして信徒の交わりにおいてその機会が十分に確保されるよう支援し、環境を整えて参りたいと思います。

川崎戸手教会にも障がいを負っておられる信徒がおられます。特に視覚障がいから考える時、次の点が課題として考えられます。

1. 点字(聖書、讃美歌、週報)

2. 手すり、点字ブロック(視覚障害者誘導用ブロック)

3. 車椅子

4. 誘導の学習

5. セミナー参加(障がい者と教会の集い)

私たちの社会は、まだ障がい者があらゆる分野の活動に参加する機会が十分に確保されていません。今その不十分な部分は隣人が支えていくべき所なのでしょう。しかしそれはハンディーを負っている人を助けて差し上げるというものではないと思うのです。人は須らく神の前に平等であり対等であります。平等であり対等であることを目指していると言うべきでしょうか。確かに障がい者は身体にまた知能と精神にハンディーを負っています。しかし隣人がサポートすべきはそのハンディーに対してではなく、未だ整備が不十分である部分を補うものであり、これは社会の構成員としての当然の責任であり、更には対等でありたいとする意思の表れではないでしょうか。

▽     参考
関連リンク
日本点字図書館:https://www.nittento.or.jp/news/koekake.html
障害者基本法:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC1000000084

1件のコメント

  1. 気持ちをかたちにするのが苦手な人がいる。
    私もそうだ。

    例えば、電車で席をゆずるとき、
    声をかけるのはちょっと緊張する。
    ましてや過去に、
    「年寄り扱いしないでくれ」と断られた経験を持つ人は、それがトラウマになることもある。

    優先席などなくても、気軽に席をゆずれる社会の方が良いに決まっている。
    しかし、優先席があれば
    ゆずる方もそれを言い訳に出来るのも事実である。

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