受胎告知

待降節2 ルカ福音書1:5-25

「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」(ルカ1.28)

マリアへの受胎告知はエリザベトのそれと性質を異にする。エリザベトの場合その妊娠は「人々の間からわたしの恥を取り去る」(ルカ1.25)喜ばしいものであった。しかしマリアの妊娠は人々の間で喜ばしいものではなくむしろ恥である。マリアへの受胎告知はその恥を喜ばしい恵みであるとする知らせであった。ここにこれから始まる救いの新しさが示されている。

人は人々の間を生きている。そして恥はその人々の間で生成される。ここで恥とは差別や偏見などを象徴している。本来不妊は本人が恥じるものではない。しかし人々の間はそれを恥とする。人々の間を生きる人はその恥を覆い隠しまた取り除かれたいと願っている。そしてエリザベトは恥を取り除かれ彼女は救われた。一方マリアの受胎告知は神の国の支配を告げ知らせている。人々の間での恥を神の国は否定する。故に取り去る必要はない。新しい命を宿した事実を肯定し祝福する。

「お言葉どおり、この身に成りますように」というマリアの応答は恥を肯定する神への献身である。パウロに言わせれば「私は福音を恥としない」という告白である。

エリザベトは彼女自身が変えられて彼女は救われた。しかしマリアは変わらない。ありのままを肯定され、むしろ恥を恵みとして生きることにより人々の間が変えられていく。ここにイエス・キリストの神がなそうとする新しい救いの性質が示されているのである。イエス・キリストの神は人々の間で恥を負う人を用いて、また恥を負う人の隣人となって救いを実現する方なのだ。

孫 裕久

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