涙の手紙 (1)

コリントの信徒への手紙2 1:23-2:4

パウロは少なくともコリントを3回訪問している。本章は2回目の訪問とその直後コリントに宛てた「涙の手紙」を前提にしている。残念ながら使徒言行録にその訪問記録は見当たらず「涙の手紙」も現存しないため本章の解釈は容易ではない。

第1・第2の手紙に残された断片的な情報から辛うじて推測出来ることは、2回目の訪問時(それはその訪問を決意させた事情でもあるが)、コリントではパウロ批判の高まりと不道徳な事件が問題になっていた。そしてコリントでこの問題解決を巡る論争や裁きがお互いを悲しませる結果を招いたと考えられる。

パウロの福音理念は律法(文字)に従属するものではなく、イエス・キリストによってそこから自由とされた喜びに中心がある。にもかかわらず2回目の訪問で悲しませる結果を招いたのは、自身の批判についての論争も不道徳な者への裁きも律法に従属させる(信仰の支配)ような方法を取らざるを得なかったことによる。それに対するパウロの言い訳が「あなたがたの信仰を支配するつもりはなく」(1.23)であるが、結果的に支配するような事態を招いたのだ。

共同体において(広い意味では人生において)論争や裁きは避けがたくそれ自体を悪という根拠はない。しかし「異分子」を排除して共同体を保つための論争や裁きはイエスの教え(マタイ13.24-43)と異なる。パウロ批判や不道徳な者への裁きは排除の論理が支配的で故にそこに喜びはなく悲しませる結果しか生まなかった。

パウロがコリント訪問の遅延をあなたがたへの思いやり(1.23)と言っているのは論争と裁きの継続を避けたいとの思いからである。

パウロの言う通り、本来イエス・キリストの使徒としての本分は「喜び(福音)のために協力する者」(1.24)である。福音は喜びであり、それを伝え分かち合い、それを共に生きることを目的としている。にもかかわらず2回目の訪問はコリントの信徒を悲しませ、またパウロ自身も悲しむ結果となった。

使徒として、喜びの協力者として深く反省しながら、且つ十分に反論出来なかった(しなかった)悔しさも合わさり、その手紙をしたためるパウロの眼は涙を流していた。

孫 裕久

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