和解の使者

コリントⅡ 8.16-24

マスメディアの発達により人間は地球の裏側の出来事も直ちに知るようになった。江戸時代に比べて地球は小さくなった。しかしそれに反して人と人の距離は遠くなったのかも知れない。テレビやインターネットの映像を見て、まるでそれに触れたかのような錯覚に陥っている。
みんな北朝鮮や朝鮮学校をよく知っている。しかし実は朝鮮人と出会っていないし朝鮮学校に通う子どもたちの名前を知らない。近隣住民で土手を越えて来た人々が口を揃えて「知ってはいたが来るのは初めて」という。
「出会いを大切に」とはよく聞くが、意外と私たちはその大切さを理解していない。
パウロはコリントに派遣するテトスに2人の使者を同行させた。そこにはコリント教会とエルサレム教会の信徒の出会いを期待していたと考えられる。コリント教会からエルサレム教会へ送る募金活動が遅れていた。パウロは豊かさについて言葉を尽くし慈善の奉仕の意味と重要性を説いた。しかし言葉だけでは足りないのだ。
朝鮮学校や河川敷の街について語ることは大切であるが日本人と朝鮮人、街区の人々と土手の人々、双方の出会いに勝るものはない。和解の奉仕者とはまさに双方を出会いへと招く使者である。
パウロは自分が言葉を尽くす以上に双方が直接出会うことを願ったに違いがいない。テレビやインターネットのない時代に生きた彼らにとって出会いとは理解する努力を必要としない当然であったに違いない。
ヨルダン寮は神が河川敷に置いた出会いの場であった。その出会いから和解が始まる。この新会堂もそのように用いて頂きましょう。

孫 裕久

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