喜んで与えなさい

コリントⅡ 9.1-15

パウロは喜んで与えるように勧める。奉仕活動において大切なのは気持ちより捧げるという事実かもしれない。しかしパウロは事実と共にそれを喜んでする気持ちを重視する。
その根拠としてパウロは教会を人間の身体に、一人一人をその部分に例えた(コリントⅠ12章)。キリスト者は皆一つの体となるためにバプテスマを受けたのである。キリスト者は隣人と自分を分けて考えず、一つの部分の喜び苦しみを全体で共有する。
また教会はすべての物を共有する(使徒言行録2.44)。そこに私物化という考えはなく全ては神の嗣業である。
そして何より福音は喜びである。キリスト者の場合、救われた者の喜びが奉仕という種を日々蒔いていく。
どのような奉仕も喜んで行える者になりたいと思う。自己犠牲ではなく無理してでもなく、その奉仕による隣人の喜びを自分の命の源であるかの如く生きていければと思う。
如何にすればそうなれるのか?パウロの根拠を学び頭で理解しても心と体は必ずしも伴うとは限らない。時に嫌々奉仕する時もある。開き直る訳ではないが、しかし私はそれでも良いと思う。人間には偽善が伴う。私は偽善者であることを認める。時に顔はニコニコしながら心では苦痛を覚えて奉仕している。そういう自分が嫌で仕方ない。そんな時「惜しみなく、喜んで与えよ」というパウロの言葉が耳に痛い。
願わくはイエス・キリストの十字架によってこの偽善者をお赦しいただき、何事も心から喜んで奉仕する者にならせて下さい、と祈りながら。

孫 裕久

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