真実という武器をまとう

コリントⅡ 10.1-6

「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。」(10.3)
このパウロの言葉を意訳すれば以下の通りである。
「わたしたちは弱さと罪を抱えて歩んではいますが、強さと律法を用いて戦うのではありません。」
パウロの「信仰によって義とされる」とは律法から自由になることであり律法で失敗したので次は信仰で成功するという意味ではない。何においても自らの救いと成功を目指すものはこの世の法則に捕捉される。それは他者と比べ評価を得ようとする法則である。
コリント教会はパウロによって設立された。しかしパウロが去って後、信仰的派閥やどの奉仕が最も尊いかと比べ評価する対立が起こった。パウロはこれに対して「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要であり(コリントⅠ 12.22)、強さと正しさで対立するのではなく、弱さにおいて一致する大切さを説いた。
コリント教会に入り込んだパウロの論敵は、パウロの弱点を揶揄した。確かにパウロにはパウロなりの弱点がある。しかしパウロはそこでその弱点を補う強さを用いて反論することを控える。最早パウロは自分への評価に関心を持っていない(持たないように努めている)。パウロの生死は主のためにある。即ち彼の関心は隣人であり和解の奉仕である。そこに立つ時、パウロは真実という神の武器を身にまとうのである。この武器はこの世の法則を無力化する。比べられ評価されて生じる怒りや不安から解放する。真実とはまさに己を隣人のために用いる所に生息するのだ。
キリスト者の武器は真実である。そこに真実なくば、愛も正義もこの世の法則に隷属する。私たちは弱さと罪を抱えて生きてはいるが、それを素直に認めるのも真実である。真実という武器をまとってこの世の法則に抗っていこう。

孫裕久

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