今がその時

マタイ 4:18-22

主イエスが最初に招いた弟子は無学な漁師であった。これは「天の国は近づいた」の姿を象徴している。主イエスの弟子と成るのにこの世的な資格は要求されない。何故なら天の国の方から降りて来てくれたからである。
この招きを受けた4人は、すぐに網や家族を捨てて従った。主イエスの招きへの応答は、捨てて従うこと。そしてそれはすぐにである。捨てて従うことは出来るかもしれない。しかしその頭に「すぐに」がつくとその難易度は一変する。すぐにとは、それ程までに難しく、しかしそれ程までに重要なのだ。
第42回教団総会において、沖縄教区との関係修復を優先しようとする議案はすべて否決された。今は教団の財政問題が最優先であり、機構改定を急ぐ危機的状況である。今すぐにと言われても、人間側の諸事情による優先順位がある。
人間の危機は神の好機である。それはその危機が同時に神と隣人、またこの世に対する関係を根本的に変革する好機なのだ。機構改定を急ぐ気持ちは分かる。しかしこの危機的状況においてこそ、沖縄教区との関係修復の好機なのだ。ふところが温かい時は余裕がある。しかし余裕がない時だからこそ好機なのだ。何故なら天の国は近づいたから。
「悔改めよ。天の国は近づいた」この呼びかけは、呼びかけられた側の事情を考慮しない。今すぐに、である。その理由は急を要する時間の問題ではない。好機なのだ。そして4人の漁師はその好機を逃さなかった。すぐに捨てて従った。
こちら側の待ったを許さない危機的状況が好機を見逃すことなく、その危機故の好機を捉えるキリスト者であり川崎戸手教会でありたい。

孫 裕久

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