天の国は近づいた

マタイ 4:12-17

主イエスの宣教は「悔改めよ、天の国は近づいた」という呼びかけから始まった。これはその道備えであるバプテスマのヨハネの時から始まっている。(3.2)
悔い改めとは、「どこにいるのか」という神の呼びかけに、その物陰から出て裸のまま神の前に立つことである。(創3.9)
ユダヤ人は偶像礼拝が国の滅亡と神殿崩壊をもたらしたと総括した。故に正しい祭儀と律法を守って天の国に至る階段を一生懸命に昇ったのである。しかし今や「天の国は近づいた」。即ち天の国の方から降りてきたので最早昇らずとも良い。ただその呼びかけに応えてその物陰から出れば良いのだ。
正しさを追求しその正しさを生きることは御心に適っている。しかしその正しさを認めてもらう為に生きる時、祭儀と律法は人を救わない。むしろ人を裁き排除してしまうのだ。
天の国は近づいた、だから悔改めよと主イエスは呼びかける。それは他人を裁き自己正当化するその物陰から出て、ありのままの自分を認めなさいと言い換えて良い。もっと砕いて言えば「ごめんなさいと言って大丈夫なんだよ」とおっしゃって下さっているのだ。
そしてそれは今なのだ。この悔い改めの呼びかけは、こちらの事情を考慮しない。時に私たちはエレミヤのように「若者に過ぎないから」と今少しの猶予を求めてしまう。しかし悔い改めるのに相応しい資格や条件はない。
これはチャンスなのだ。問題は今、自分が何段目にいるかではない。天の国が近づいた今、そのような階段は既に取り除かれた。
恥じることなく、失敗を恐れず、この呼びかけに参加していこう。私はそこに真の自由があると信じる。

孫 裕久

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